FC2ブログ
1日1日のニュースを心と日記に記録していく
↓他のニュースは↓
人気blogランキング FC2ブログランキング にほんブログ村 ニュースブログへ 人気ブログランキング【ブログの殿堂】 <
 | トップページ | 

「ゆとり教育」は間違いではなかった

もし、分数ができない大学生がいたとしたら、それはゆとり教育の問題ではない。分数はゆとり教育でもやっていたから。問題はその根底に横たわる、「問題を解くことができる」という学習内容の「習熟」を拒否した(と現場の教師たちに受け取られかねない)「新学力観」である。この「新学力観」は、「習熟」よりも「興味・感心・意欲」に重きをおき、やる気があればいいんだ、という価値観を教育業界に持ち込んだ。それ以上に問題だったのが、漢字や計算等の習熟はつめこみだからいけないという風潮を蔓延させたことである。
なにを言っているのか分からない方も多いだろう。「新学力観」とは、「真っ白なところから解き方を考えさせる」という耳に心地よいコンセプトではあるが、これは曲者である。学力が平均もしくは平均以下の児童生徒に、算数でいう定義を発見せよという崇高な課題を提示したからだ。また、ディベートのような学習形態も見ている方は子どもたちの懸命のやりとりに少なからず感動をする。だが、試験をしてみると、九九はおぼつかない、くり上がり・くり下がりはできない、通分・約分はできないという事態になる。「解き方を暗記して繰り返す」のは、「旧学力観」だからだ。

「社会の急速な変化が既習内容をすぐに古いものにしてしまう」という問題意識から出発した「新学力観」ではあったが、九九を「発見」することに地道を上げ、九九を「習得」するということを軽く扱ってしまってよかったのだろうか。九九など基本的な算術が使えないことは、就業者として致命的ではないだろうか。(もちろん、家庭では公文式などに通わせることによってこれに対応したが、少なからぬ現場の教師からは、公文式は本質的な理解ではないと不興を買っている)

たしかに、あるレベル以上では、公文式は役にたたないだろう。私が問題だと思うのは、「古い既習内容」と切り捨て、通常の労働者となるべく子どもたちが身につけるべき技能を身につけさせないまま、社会に放りだしてしまったという点だ。(今は22歳までそのことに気付かないでいられるある意味で幸せな社会でもある)クリエイティブな発想はますます必要だ。しかしそれを全員に求めるのはいかがなものか。

私は「ゆとり教育」自体はよかったと思っている。「つめこみ」で消化不良を起こしてしまっていた世代も確かにあるのだ。よほどの仕事でない限り、「集合」など使わない。「集合」を小学校でつめこもうとした世代もあったのだ。実際に教育現場を見ると、教師はどうしても「できない子」に引っ張られる。小学校も高学年になればクラスの多数が勉強を理解してないということもありえる。となると、授業の進捗に大きな影響を与える。上の子だけを見ている教師などまずいないのだ。心情的にも、学級の運営的にも。成績下位の子を手当をしながら、上位の子どもにも適当な課題を見繕ってあげる「ゆとり」があったほうがいいと思うからだ。

「ゆとり教育」は転換された。問題は、教育委員会や現場の教師が「ゆとり教育」だけでなく、「新学力観」も捨て去られたと認識していないことだ。分厚くなってしまった教科書を、「新学力観」で指導すれば、どういった結果を招くかは、ここまで読まれた方々にはおわかりになるのではないだろうか。「教科書が厚すぎて終わらない」消化不良になるのは目に見えている。

数年のうちに、「新学力観」が淘汰され、かつての「旧学力観」と「新学力観」がバランスよくミックスされた授業が定着していくことを願っている。

ニュース人気ブログ ニュースFC2ブログ ニュースブログ村
 | トップページ | 
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://newsdojo.blog54.fc2.com/tb.php/13340-f1934703
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック